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広島高等裁判所 昭和24年(う)231号 判決 1949年12月01日

被告人

末永亀式

主文

本件につき當裁判所が昭和二十四年八月三十一日爲した決定は之を取消す。

理由

弁護人勝部良吉の控訴趣意は

被告人に対する原審の量刑は不当に重きものと思料する。即ち本件記録に徴すれば、

(一)  原審判決記載の小豆、大豆(黒)は何れも被告人の生産したものであつて、他より買入れ、これを転売して暴利を貪るが如き所謂ブローカー的行為を為したものでは全然ない。

(二)  本件違反物資である小豆、大豆(黒)は押収され、その換価代金は全部沒収され、被告人はこれによつて何等の利得をなしてゐない。

(三)  被告人は、これ迄この様な犯罪によつて処罰を受けたことは一度もなく所謂常習的犯罪者ではない。

(四)  被告人の生活状態については長女栄美子(当十六年)を頭に二女、三女、四人の家族を抱く貧困にして極めて生活困難である。

以上の諸点を綜合して考へるとき、本件の如き事案に対しては刑の執行を猶予する裁判を至当と思料するのに原審がこれに出でずして罰金千円を云渡したのは其の量刑重きに過ぎるものであつて破棄さるべきものと思料する。

之に対し、原決定は、右控訴趣意が單に「本件記録に徴すれば」というに止まり、何等記録に現われている具体的事実を援用していないから、右控訴趣意書は刑事訴訟法第三百八十一条に掲げてある「控訴趣意書に、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われている事実であつて刑の量定が不当であることを信ずるに足りるものを援用しなければならない。」との要件を欠いで居るので不適法であるとして同法第三百八十六条第二項に従つて決定で控訴を棄却したのである。

そこで弁護人は右決定に対して異議を申立て、前記控訴趣意書には刑の量定が不当であることを信ずるに足りるものとして前記(一)乃至(四)の具体的事実を記載し、而してこの事実は何れも一件記録に現われたものであるという意味において「本件記録に徴すれば」という前提を置いているのであつて、この程度の記載は記録に現はれた本件特有の具体的事実の最少限度の援用として欠くるところはないのであつて、之を不適法として棄却した原決定は不当である。と主張して居るのである。

惟うに、原決定が、右控訴趣意書が「本件記録に徴すれば」と云つて居ることだけを指摘して同趣意書には具体的事実の援用がないと断じて居り、右趣意書に前記(一)乃至(四)の事実が記載してあることについては何等言及してゐないところから見ると、原決定は刑事訴訟法第三百八十一条に所謂「訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われている事実であつて刑の量定が不当であることを信ずるに足りるもの」を援用せよということを解して、原判決の量刑不当を認めるに足る事由を、それが表現されている資料を指摘して述べること例へば記録第何丁の何某の供述書に何々とあるとか、第何回目の公判調書中証人何某の証言として是々の記載があるとか、いうやうなことを指摘して量刑不当を主張しなければならないという意味であるとして居ることが窺はれる。

之に反し、前記異議の主張は右の法意は、刑の量定不当を断ずるに足りる資料たる客観的事実そのものを挙げよという意味であつて、その事実を認めるに足る証拠や記録上の資料を指摘せよということではないとの見解に立つて居るものであることは前記(一)乃至(四)の事実の挙示を以て同条に所謂「事実の援用」として充分であるとして居ることによつて明らかである。

果して何れの解釈が相当であるかということを考へて見るに、刑事訴訟法第三百八十一条は明らかに事実を援用することを要すると規定して居り、その事実の認められる資料を挙げることを要する旨の文詞は全然ない(同法第三百七十六条第二項に所謂疎明資料とは同法第三百八十三条に規定する疎明資料の如きを指すのであつて、本問の場合とは関係がない。)のであるから、文理解釈上から云つても同法第三百八十一条は容認的な事実を挙げることを要するの趣旨と解釈するの他はない。又、この様な規定を設けた法の趣旨を考へて見るに、新刑事訴訟法の下においては、第一に控訴審は所謂事後審であつて覆審でないという立て前を採つて居るので訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われている即ち原判決当時迄に現われた事実を挙げてそれに基いて原判決を攻撃するのでなければならないのであつて、原判決後に生じた新な事実を拉し来つて原判決を云々することは控訴審が事後審たることの本質に反するので許されない。又第二に、その事実は訴訟記録や原裁判所で取り調べた証拠の何処かに現われているものでなければならないとすることによつて、抽象的な理由により、乃至はこれという根拠もないのに濫りに控訴の申立をすることのないやうにする。同条はこういう趣旨であり、又それだけの趣旨である。

即ち控訴趣意書に指摘してある事実は、訴訟記録や原裁判所で取り調べた証拠の中のいづれかに現われている(即ちそれによつて認められる)ものでなければならないけれども、それが何処に又は何に現われているかという資料の所在を指摘することは控訴趣意書の記載要件ではないと解するのが相当である。

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